2019年6月21日

絶対積極という考え方 2019.3

 個人的な話ですが、先日、続けて二回、事故にあいました。幸いどちらの事故もケガをしないで済んだのですが、その話をすると、二種類の反応があることに気が付きました。「それは災難、ついていなかったね」というものと、「その程度で済んでよかったね」というものです。

同じ状況に対する反応の違いは、いわば、受け止め方の違いによるものですが、後者のような考え方を「絶対積極」と言います。つまり絶対積極とは、「よいことも悪いことも、よいことであると自覚、実感する」考え方です。

普段私たちは良いことには積極的になれますが悪いことに対してはすぐに消極的になり、一喜一憂しがちです。勉強するときに一喜一憂は最大の敵。人は、思った通りの人間になっていくものであり、ミスをするたびに「自分はこんな問題すらできない」と思っていると、本当に成績も伸びないからです。「私ってなんてついてないんだろう」と思う人は本当に運も悪くなります。

無理してでも、「よいことも悪いこともすべてが学びであり、有難いことだ」と考えることはとても大切です。(ただ、子どもの場合はなかなかこれができません。どうしても、点数が悪いと怒られたりと、よいこと悪いことを区別しながら生活しているからです。)自分に降りかかったマイナスな出来事はこの程度でよかった。次はそうならないようにしようと考えられるような強い心の状態を作ることが、前回の失敗の効用を知るとともに、勉強の成果を上げるためにはとても大事な土台となるのです。

 

 

勉強を伸ばすカギは日常生活にある ②失敗の効用を知る 2019.2

 前回、日常生活の中での心と体と頭の使い方の「癖」が、勉強や仕事、人生に影響を与えるという話を書きましたが、今回はその中でも最も重要な心の使い方について。

よく、心どのように保つかという話になると、積極的な状態を保つことが大切とは、様々な書物などに書かれています。しかしそれよりもまず、「失敗」に対する考え方を変えることが大切であるとわたしは考えます。

失敗すると、やる気がなくなったり叱られたり。失敗とは多かれ少なかれ、いやなものです。高校入学早々先生が「20点取ったら、まだ80点分も学ぶことがあるなんてすばらしいと喜べ」と話し、とても驚いたことがあるのですが、これは本当に大切なことだと思います。もちろん本番の入学試験やテストなどでは間違えない方がよいですが、練習段階においては間違いが多い方がそこから気づきや学びをたくさん得ることができ、勉強になるのです。そして、テストで極めて優秀な成績を取る子供たちは、失敗しないからよい成績を取るのではなく、失敗に対する見方が違っており、失敗や間違いそのものにではなく、「なぜ間違えたのか」「どこに問題があったのか」と、いう、原因分析と対策に心を使っているのです。

まずは失敗の効用を知り、考え方を変えること。そうして初めて積極的な行動が実を結びだすと、わたしは思います。

勉強を伸ばすカギは日常生活にある① 2019.1

 「どうやって勉強をすればよいかわからない」という類の悩みを耳にすることがあります。また、巷には様々な勉強法の本があふれていますが、誰にでも利く万能の方法も無いようです。ただ、勉強が伸びる子とにはやはりある種の共通点があるように思えます。それは、日常生活の中での過ごし方にあると感じます。

よく考えてみればわかると思いますが、勉強のときだけ、最良の頭の使い方ができるものでしょうか。人間は、習慣化された動物です。日常生活の些細な出来事に対して常に心が動き、体が反応し、頭を働かせています。そしてその「癖」になった習慣が、勉強や仕事、更には人生にまで影響を与えていくのです。例えば、しっかりと計画を立てて学習する習慣がある子は、日常生活の中でも計画を立てる習慣を持ち、友達と遊ぶときもしっかりと時間の枠組みが組まれています。計画を実行するときに大切なのは時間を守ることですが、日常生活の些細な出来事に対して時間を守れない子が勉強のときだけ時間を守れることはあり得ません。仕事する上でも同様で、効率的に仕事をしている人は日常生活でも無駄のない生活をしています。それでは日常生活をどう過ごせばよいか。つづく

大学入試が変わります 2018.12

 大学入試が変わる、という話がよく聞かれるようになりました。大きく変わる点は、現状1月下旬に行われているセンター試験が2019年で廃止され、2020年からは新たに「大学入学共通テスト」が始まることです。現在のセンター試験はすべて(答えを選択肢の中から選ぶ)マークシート方式ですが、共通テストは国語、数学において記述式問題が導入されることと、英語において民間の英語4技能(読む書く聴く話す)資格・検定を共通テストと併用すること、そして、思考力、判断力、表現力を一層重視したマークシート式問題へと改善を行う点です。

背景には社会のグローバル化や情報化が進み、従来の「知識、技能」を中心とした学力評価から、それを活用するための「思考力、判断力、表現力」が、より一層求められる時代になってきたことが挙げられます。連日外国人労働者の受け入れ問題がテレビを賑わせていますが、今後、多文化との共生社会になることは避けられず、世界の人たちと協働するために、主体的に学ぶ力や問題解決力が一層不可欠になるでしょう。(教育の現場でも、「アクティブラーニング」という言葉が数年前からずいぶん聞かれるようになりましたが、)座学中心から能動的な学びへの転換が期待されているのだと、強く感じています。

読解力は語彙力から  2018.11

「うちの子、読解力がないんです」という悩みをしばしば耳にします。また、計算はできるけれど文章問題が苦手で…と悩むお母さんたちも多いのではないでしょうか。
ただ、読解力がない、文章題が苦手、さらには作文や記述が苦手といった子供に共通する特徴として、「語彙力がない」ことが挙げられます。語彙力とは、文字通り言葉の意味のことで、これがないと、まず文章を理解することができません。また、自分の感情を正確に表す言葉を知らなければ、書きたいことも書けません。教科書や問題文の内容も理解できず、英単語を覚えようにも、和訳の意味が分からないと、英単語を覚えることもできない。つまり語彙力が必要なのは国語だけと思われがちですが、実は、すべての教科にとって必要なのです。
では、読解力を増やすためには具体的にはどうすればよいか。まずは本や新聞など、多くの文章を読むこと。そして、そこに知らない言葉が出てきたら徹底的に調べる。今は電子辞書やスマホなど、便利なツールもたくさんあります。一見地味に思われるかもしれませんが、自分の頭の中に語彙を増やしていくためにはそれを重ね積み上げていくことです。そして、自分の身に着けた語彙力は、勉強に限らず、一生を通じて、自分の強烈な力になってくれるはずです。

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!③ 2018.9

 引き続きフィンランドの学校のお話ですが、わたしが何より深い感銘を受けたのは、フィンランドでは、トップダウンではなく学校や教師に自由な裁量が認められていることでした。国の教育管理制度を最小限にして、地方自治体と学校、一人一人の教師に教育の権限があり、転勤もほとんどなく、学校は、まるで第2の家庭のように長い目で子供を育てる土台が整っています。そしてその自由な学習環境は子どもたちにも保障され、教室にソファがあって、勉強をしたくなくなったらソファで休んでもOK。そんなことをしたらみんな勉強しなくなるのでは、と、心配になりましたが、「学ぶことは自分のため」という意識が徹底されているので、他人の目を気にすることなく、安心して学習できるようです。

娘が学校からもらってくるプリント類一つを見ても、私は日本の学校の先生たちは、本当に一生懸命で、力量もすごいなぁとつくづく頭が下がる思いです。さらには部活動なども熱心に指導してくれて、感謝しかありません。こんな力のある先生たちが、もっと自由な裁量で教育できるようになれば、そして国や学校はそこをサポートする関係になれれば、子どもたちにとっての教育はより自分のためのものになり、勉強は学生時代のものだけでなく生涯学び続ける土壌が出来上がってくるのではないかと思うのです。

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!② 2018.8

 前回フィンランドの学校には制服がないという話を書きましたが、わたしがさらにフィンランドの教育で興味深かったことは、外国語教育が進んでいると思われているフィンランドで英語を学び始めるのは小学3年生からで、低学年のうちは徹底して母国語を学ぶということ。自国語をしっかり学ぶことは、アイデンティティの培うために重要であり、ほかの言語を学ぶためにも自国語の文章構造をきちんと理解している必要があるという考えには私もとても共感しました。日本人はともすれば日本語をないがしろにしてまで子供の英語の早期教育に力を注ぐ人が少なくないように思いますが、思考力を育てるためにもアイデンティティを養うためにも、母国語を正しく理解するということは最も大切なことだと私は常々感じています。

 そしてもう一つ、フィンランド人は読書量がとても多く、人口56万人のヘルシンキには38もの図書館があるように、図書館の利用数も世界一です。本を1冊読むことは一つの新しい体験をすることだという考えがあるくらい、幼いころの読み聞かせと成長してからの読書が伝統と習慣になっていることは、フィンランドの教育力の土台になっているのだと感じました。つづく

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!① 2018.7

 以前、教育先進国であるフィンランドの学校の様子をテレビで見て驚いたことがあります。それは、子どもたちがとても自由に勉強していること。制服もなく、中にはショッピングセンターの紙袋に穴をあけて袖を通して登校する子もいて、さすがにその生徒は叱られていましたが、日本の教室の風景を見慣れていた私にとってはとても衝撃的でした。

 日本では中学生になると当たり前のように、それまでの私服から、制服を着て通うようになります。制服は楽だしかわいいし、それについて私は批判するつもりはないですが、ただ、その中に「なんで」と疑問を持つ子どもがいたら、それを頭ごなしに否定せず、むしろ「そういう疑問を持つってとてもいいね!」と大切にしたいと思います。前回私は、日本はどうしても人と同じことを良しとする風潮があったと書きましたが、多様な意見を認め合うことがますます重要になるこれからの時代。当たり前と思われていることの中にもなぜ?という視点を持つことは、思春期を生きる子どもたちが自ら考える力をつけていくためにも特に大切な第一歩なのではないかと思っています。

弁証法的視点のもう一つのメリット 2018.6

 前回、弁証法的視点を持つことの有用性について書きました。弁証法とは、ある考えを持った時に、それに反する考えをあえてぶつけてみることによって、自分の考えの悪いところが見えてきたり、その2つを合わせてより良い考えが生まれて来るというものですが、弁証法のもう一つ良いところは自分の意見と違う考えに対して柔軟に対応できるようになることです。常に自分の中にもう一つ反対の考えを持つことに慣れておくと、他者から自分の意見に反論されても、それを排除しようとは思わなくなります。

民主主義とは多様な意見を持つ人々が共に生きる社会であることです。しかし、ネットの世界ではしばしば自分と違う意見に対して過剰なほど叩いたり否定したり、対立する意見を認めない、排除する、ということが起きています。海外に比べ、日本はもともと画一化、横並びが良しとされてきた歴史もあり、自分の意見を否定されると自分そのものを否定されたと感じ、怒りを覚えたりする人が多いように思います。しかし、一人よりも二人、二人よりも三人の方が、多様な意見、自分にない視点が加わって、よりベターな考えが生まれるはず。自分と違う意見は意見としてすんなりと受け入れられるようになるためにも、自分の思いつきを絶対として突っ走るのではなく、常にそれを批判する自分の目を持つことは大切だと思っています。

 

情報リテラシーを磨こう!2018.5

前回に引き続き情報リテラシーのお話。情報リテラシーとは、今の時代の膨大な情報の中から、自分にとって必要なものを目的に応じて探し出し、それを活用する力のことです。現代は多くの情報があふれ、スマホがあれば簡単に必要な情報を手に入れられる時代ではありますが、中にはフェイクニュースのような嘘の情報や、かなり偏った意見もあったりします。

その中から正確で有用なものを探し出し、使いこなす力をつけるための方法として、わたしは最近よくヘーゲルが唱えた「弁証法」を考えます。弁証法とは、ある一つの物事を考えるときに、それとは反対の考え方をあえてしてみるということ。自分が正しいと思う事柄に対してそれとは逆の考え方や、否定する考えを持つことによって、自分の考えの悪いところが見えてきたり、その結果より良い意見や新しい考え方が生まれたりするのです。つまり、Aという結論を持つにしても、単純にAは正しい!と思い込んで突っ走る事と、Aとは逆のBという意見を考えてみて、やはりAが正しい、と思うのとでは、結論は同じでも全く違うということです。わたしはこのことはこれからの時代ますます大切なことだと考えています。インターネットに代表される情報の中には真偽が不明なものもたくさんあります。一つの情報のみを鵜呑みにして正しいと信じ込むのはとても危険であるし、何より自身の考えを持つ力を鍛えられません。自分にとって必要な情報を得たときに、それとは反対の視点を持ち、これは本当に正しいのだろうか、そして、より良い結論を導けるように自分の頭で考える。これがとても大事なことだとわたしは思うし、なにより論理的思考力をつけるためにもとても有効なのではないかと思います。

 

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