お母さん

こんにちは、函館市の堀川町、宝来町に教室を持つ学習塾、はこだてセカンドスクールを運営している塾長の山崎藍です。

今回は先日他界した母についてお話ししようと思います。

先日、母が他界しました。こんなに早くお別れするとは思っていもいなかったので実感が湧かず、実家のドアを開けるたびに母が出迎えてくれるのではないかという錯覚に囚われ、なかなか前を向くことができません。

母が亡くなってから気づいたこと

私の家は父が単身赴任をしていて、子供時代の多くを母と妹と3人で過ごしました。父の不在を寂しく思った記憶がほとんどないほど、母は私太一の世話に忙しくしていました。甘えっ子だった妹に比べ私は母と少し距離を感じながらも、母に褒められたい一心で何事も取り組んでいたような気がします。大きくなってからは、おしゃれだった母はいつも私のファッションチェックをしてくれました。歳をとるにつれ、母に似ているとか姉妹のようだと言われることも増え、母の前では嫌がっていたものの本当は嬉しくて、嬉しそうな母を見るのも好きでした。このコラムも楽しみにしてくれていて、配布されるといちばんに「今回も良かったよ」とラインをくれました。自信を失ったり心が折れそうな時には1番の伊方であり、どんな選択をしても心から応援してくれたので、私は今まで好きなことをして生きてこられたのだと、母を亡くした今心から思います。

母の死後、母の部屋からコラムの切り抜きがたくさん出てきました。誰よりも私のことを想ってくれていた存在がいなくなり、もう会えないのが信じられません。生きているうちに、もっといろいろなことをしてあげればよかったです。

母と五稜郭の桜を楽しむ

母が毎年楽しみにしていた五稜郭公園の桜を今年は見ることができずに逝ってしまいましたが、遺影を持ちながら桜が満開の五稜郭公園を歩き、母に話しかけました。葬儀の際に「故人と沢山会ってください」と僧侶の方が逝っていた言葉は、こういうことなのかなと思いながら、母に大好きだった桜の花を見せました。

お母さんありがとう。何も返せないまま逝かせてごめん。私頑張るからね。