青ぽ連載

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!③ 2018.9

 引き続きフィンランドの学校のお話ですが、わたしが何より深い感銘を受けたのは、フィンランドでは、トップダウンではなく学校や教師に自由な裁量が認められていることでした。国の教育管理制度を最小限にして、地方自治体と学校、一人一人の教師に教育の権限があり、転勤もほとんどなく、学校は、まるで第2の家庭のように長い目で子供を育てる土台が整っています。そしてその自由な学習環境は子どもたちにも保障され、教室にソファがあって、勉強をしたくなくなったらソファで休んでもOK。そんなことをしたらみんな勉強しなくなるのでは、と、心配になりましたが、「学ぶことは自分のため」という意識が徹底されているので、他人の目を気にすることなく、安心して学習できるようです。

娘が学校からもらってくるプリント類一つを見ても、私は日本の学校の先生たちは、本当に一生懸命で、力量もすごいなぁとつくづく頭が下がる思いです。さらには部活動なども熱心に指導してくれて、感謝しかありません。こんな力のある先生たちが、もっと自由な裁量で教育できるようになれば、そして国や学校はそこをサポートする関係になれれば、子どもたちにとっての教育はより自分のためのものになり、勉強は学生時代のものだけでなく生涯学び続ける土壌が出来上がってくるのではないかと思うのです。

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!② 2018.8

 前回フィンランドの学校には制服がないという話を書きましたが、わたしがさらにフィンランドの教育で興味深かったことは、外国語教育が進んでいると思われているフィンランドで英語を学び始めるのは小学3年生からで、低学年のうちは徹底して母国語を学ぶということ。自国語をしっかり学ぶことは、アイデンティティの培うために重要であり、ほかの言語を学ぶためにも自国語の文章構造をきちんと理解している必要があるという考えには私もとても共感しました。日本人はともすれば日本語をないがしろにしてまで子供の英語の早期教育に力を注ぐ人が少なくないように思いますが、思考力を育てるためにもアイデンティティを養うためにも、母国語を正しく理解するということは最も大切なことだと私は常々感じています。

 そしてもう一つ、フィンランド人は読書量がとても多く、人口56万人のヘルシンキには38もの図書館があるように、図書館の利用数も世界一です。本を1冊読むことは一つの新しい体験をすることだという考えがあるくらい、幼いころの読み聞かせと成長してからの読書が伝統と習慣になっていることは、フィンランドの教育力の土台になっているのだと感じました。つづく

フィンランドの教育に日本の未来を夢見る!① 2018.7

 以前、教育先進国であるフィンランドの学校の様子をテレビで見て驚いたことがあります。それは、子どもたちがとても自由に勉強していること。制服もなく、中にはショッピングセンターの紙袋に穴をあけて袖を通して登校する子もいて、さすがにその生徒は叱られていましたが、日本の教室の風景を見慣れていた私にとってはとても衝撃的でした。

 日本では中学生になると当たり前のように、それまでの私服から、制服を着て通うようになります。制服は楽だしかわいいし、それについて私は批判するつもりはないですが、ただ、その中に「なんで」と疑問を持つ子どもがいたら、それを頭ごなしに否定せず、むしろ「そういう疑問を持つってとてもいいね!」と大切にしたいと思います。前回私は、日本はどうしても人と同じことを良しとする風潮があったと書きましたが、多様な意見を認め合うことがますます重要になるこれからの時代。当たり前と思われていることの中にもなぜ?という視点を持つことは、思春期を生きる子どもたちが自ら考える力をつけていくためにも特に大切な第一歩なのではないかと思っています。

弁証法的視点のもう一つのメリット 2018.6

 前回、弁証法的視点を持つことの有用性について書きました。弁証法とは、ある考えを持った時に、それに反する考えをあえてぶつけてみることによって、自分の考えの悪いところが見えてきたり、その2つを合わせてより良い考えが生まれて来るというものですが、弁証法のもう一つ良いところは自分の意見と違う考えに対して柔軟に対応できるようになることです。常に自分の中にもう一つ反対の考えを持つことに慣れておくと、他者から自分の意見に反論されても、それを排除しようとは思わなくなります。

民主主義とは多様な意見を持つ人々が共に生きる社会であることです。しかし、ネットの世界ではしばしば自分と違う意見に対して過剰なほど叩いたり否定したり、対立する意見を認めない、排除する、ということが起きています。海外に比べ、日本はもともと画一化、横並びが良しとされてきた歴史もあり、自分の意見を否定されると自分そのものを否定されたと感じ、怒りを覚えたりする人が多いように思います。しかし、一人よりも二人、二人よりも三人の方が、多様な意見、自分にない視点が加わって、よりベターな考えが生まれるはず。自分と違う意見は意見としてすんなりと受け入れられるようになるためにも、自分の思いつきを絶対として突っ走るのではなく、常にそれを批判する自分の目を持つことは大切だと思っています。

 

情報リテラシーを磨こう!2018.5

前回に引き続き情報リテラシーのお話。情報リテラシーとは、今の時代の膨大な情報の中から、自分にとって必要なものを目的に応じて探し出し、それを活用する力のことです。現代は多くの情報があふれ、スマホがあれば簡単に必要な情報を手に入れられる時代ではありますが、中にはフェイクニュースのような嘘の情報や、かなり偏った意見もあったりします。

その中から正確で有用なものを探し出し、使いこなす力をつけるための方法として、わたしは最近よくヘーゲルが唱えた「弁証法」を考えます。弁証法とは、ある一つの物事を考えるときに、それとは反対の考え方をあえてしてみるということ。自分が正しいと思う事柄に対してそれとは逆の考え方や、否定する考えを持つことによって、自分の考えの悪いところが見えてきたり、その結果より良い意見や新しい考え方が生まれたりするのです。つまり、Aという結論を持つにしても、単純にAは正しい!と思い込んで突っ走る事と、Aとは逆のBという意見を考えてみて、やはりAが正しい、と思うのとでは、結論は同じでも全く違うということです。わたしはこのことはこれからの時代ますます大切なことだと考えています。インターネットに代表される情報の中には真偽が不明なものもたくさんあります。一つの情報のみを鵜呑みにして正しいと信じ込むのはとても危険であるし、何より自身の考えを持つ力を鍛えられません。自分にとって必要な情報を得たときに、それとは反対の視点を持ち、これは本当に正しいのだろうか、そして、より良い結論を導けるように自分の頭で考える。これがとても大事なことだとわたしは思うし、なにより論理的思考力をつけるためにもとても有効なのではないかと思います。

 

第1回 情報リテラシーを磨こう 2018.4

  今回よりタイトルが「未来の話をしよう」に変わりました。わたしたちは皆、日々生活をしながら常に未来に向かって生きています。そんな一人一人の未来が希望あるものであるよう私はいつも願っています。そして、そのためにはどうしたらよいのか、特に、これからの時代を生きる子どもたちに、親世代のわたしたちが、少しだけ先輩として何か少しでも伝えられることがあればと思っています。

さて、わたしが子どもだった時代からは考えられないほど情報化社会の現在ですが、正しい情報だけではありません。むしろ、誤った情報の方が多いときすらあります。そんな現代を生きる我々には「情報リテラシー」が必要だと常々思います。情報リテラシーとは、情報を自分の目的に合わせて活用できる能力のこと。一つの情報のみを信じて鵜呑みにするのではなく、それとは別の考えや反対の意見も知ったうえで冷静に自分で検証して判断する力をつけることがこれからはますます必要です。そのために必要なのは自分で考える力、つまり論理的思考力、つまり国語力をつけることがなにより大切だと思います。

 

後悔しない人生を歩むために 2018.3

 わたしは仕事柄、人からの相談を受けたり、人の話を聞く機会もあるのですが、いろいろな人の話を聞く中で実感として感じることは、たとえ失敗に終わったことであっても、本人ががむしゃらに努力したことや自分の気持ちに素直になって行動したことに関しては、後悔は少ない、ということです。

逆に、「あのときもっと頑張っていたら」「あのとき行動に移していたら」・・・行動しなかったこと、努力しなかったことに関しては人は驚くほど長い間引きずっていることが多いのです。

 特に「親」という立場になると、自分の子供には失敗してほしくないという気持ちが働くのは普通のことだと思います。だけど、命を危険にさらすような失敗でなければ、失敗して学ぶこともあるし、その失敗が逆にその後の人生で大きな輝きを持つことだってあるものです。親心ゆえ、子どもが躓きそうになる前に石を全部よけてあげたくなる気持ちはとてもわかるのですが、そうでなく転ぶ姿を見守ることこそが大切なのかなと思います。そして、子どものことだけでなく、一人ひとりが自分の気持ちに正直に、多少の失敗を覚悟して行動してほしいと心から願っています。そうすれば、きっとどんな結果に終わっても、あの時…という後悔を抱えて生き続けることは少なくなるのではないかと思います。

勉強を楽しむということ 2018.2

   

 勉強がうまくいっている子に共通して感じることは、いやいやでなく純粋に楽しんで、前向きなオーラが出ているように見えることです。逆に言うと、いやいや勉強をしているように見える子は、なかなか成績が上がりません。もちろん、わからないことが多い故になかなか気持ちも前向きになれないという側面もあると思いますが、それでもやはり勉強が大嫌い、という気持ちでは成績向上には結びつかず、ますます勉強がつらく苦しいものになるという悪循環になります。

 話は飛びますが、例えば国語の教科書の本文や模試の文章を読んで、「この物語の続きを読みたい」とお子さんが言ってきたことはありませんか?これは一つの例ですが、教科書を読んで単に勉強として捉えるのではなく、面白い、もっと読みたい、と好奇心を持つことは勉強に対する前向きな気持ちを育てるとても良いきっかけになると思います。わたし自身、小2のときの窓際のトットちゃんに始まり、模試や教科書の抜粋で出会い買って読んだ本は何冊もあります。新学期には国語の教科書をもらうのが何よりも楽しみでした。ほかの教科でも、子供が純粋に興味を示したときにはそれを否定せずに追及させることは、勉強に対する前向きな気持ちを持たせるうえでとても大切なことではないかと思います。

子どもの味方になっていますか? 2018.1

  

「あなたの一番の味方は誰ですか?」こんな質問を子どもにしたら何と答えるでしょう。真っ先に自分をあげてくれる自信はありますか。

 勉強につまずく子どもを見ていると、自己肯定感の低さを感じることがあります。自己肯定感とは、自分はかけがえのない存在であると思える感情のことで、この気持ちが低いと自分の存在に自信が持てずあらゆることに意欲的に取り組めなくなったり、人生を楽しめなくなることにつながります。そして、自己肯定感を育てるために最も重要なことは、最もそばにいるお母さんをはじめ保護者がどんな時でも味方であることだと思うのです。そんなことは当たり前だと思われるかもしれませんが、子どもの中には、自分が愛されているのは自分がよい子だからだ、というような条件付きの愛情と捉えていることがあります。今流行りの忖度という言葉がありますが、忖度できるのは大人で、子供というのは、良くも悪くも言われた言葉をそのまま受け止めまてしまう分、大人が思っている以上に傷ついたりしやすいのです。子供の自己肯定感を育てるためには、お母さんお父さんは自分がどんな子も愛してくれている、という自信を持てるようになるくらい、どんな時も無条件で、絶対的に味方である、というメッセージを常々伝えることです。世界中の誰も信じてくれなくても、お母さんだけは信じてくれているという自信を持っている子供は、少々のことではへこたれないと思います。

テストは終わった後が肝心 2017.11-12

 2学期も後半に入り、テストシーズン真っただ中ですね。テストのときにわたしが心がけていることお話しします。

それは、結果が出た後は、どんなに悪くても絶対に文句を言ったりしないということ。怒るなんてもってのほか。文句を言ったところで結果は変わらないだけでなく、勉強に対するモチベーションが大きく下がり悪循環だからです。結果がどうであれ、まずは頑張ったことをねぎらい、きちんと答案を見てよいところを具体的にほめます。例えば計算問題はよくできているね、とか、間違っていてもここまでは合ってたね、とか、間違いがたくさんあってもこんなに一生懸命書いてるじゃないか、など。どんな答案でも必ず褒めるところはあるものです。そして、そこから具体的にこの問題はここを気を付ければ正解になるね、などと、惜しい問題を探していくと、あと少しの頑張りで点数をあげられる問題が見つけていきます。ただ、そこで気を付けたいことはケアレスミスも実力のうちということを本人にきちんと理解させることです。後からできたのは誰でもいえることで、テスト中にミスをしない力こそが実力です。ミスを言い訳にする人はいつまでもミスが減らない傾向があるように思います。

次に効果的な解き直しについて。

テストは終わった後の解き直しがとても大切というのはよく言われる話で、学校単位で取り組んでいる学校も多く、とても素晴らしいことだと思います。ただ、中にはとき直しの方法がよくわからない子もいるのではないでしょうか。先生の模範解答をただ丸写ししているのでは力にならず、勿体ないと思います。そこで、簡単なポイントを。まず、知識を問うような問題の場合は、ただ答えをノートに書いていくのではなく、答えをしっかり見て覚えてから再び解いたり、穴埋めのような問題の場合は穴埋め以外の部分も含めてノートに書き写すなど、覚えるための工夫が必要かと思います。特に社会科や理科の場合は年表や図にまとめたり、自作参考書が作れれば最高ですね。

そして、数学や理科の計算問題のような問題は、もう一度問題をよく読んで、じっくり考えなおすことが大事です。ただ、問題の難易度は様々で、一人一人の能力や目標によっては、できなくてもよい問題も当然あります。正答率が極端に低い問題に関しては、難関校を目指す人以外は「周りもできないから、これはできなくても全然大丈夫!それよりも、ここの問題でミスをしないように、鍛えていこう!」と安心させることも大切です。

一見してわからなければ、先生に聞いてみるとよいでしょう。

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